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シックハウスにならない注文住宅情報と工務店選び

良くある自社宣伝のブログではありません。
【新築】【建て替え】【リフォーム】を考える時、シックハウスにならない優良工務店選びの要点と正しい住宅情報の収集方法を住宅ローンアドバイザーでもある私が中立的な立場からお伝えしていきます。
地球と人間に優しい家は基本性能が高くシンプルです。

迷った人を導く案内人のプロフィール

■昭和35年(1960年)11月新潟県新津市(現在新潟市)に産声をあげる。

■結小学校⇒第二中学校⇒新津高校と無事卒業。

■昭和54年2月大学5校約10学部を受験するがすべて落ちる・・とほほ。

■新潟から東京に上京、1年間の浪人生活を楽しむ。
(その当時ディスコブーム真っ只中、ご他聞に漏れず遊びまくる・・・で結果は想像できますね)

■昭和55年(1980年)再び6校受験するが、当然というか浪人中のお遊びがタタリほぼ
完璧に駄目だと確信していたところ・・・。
な、なんと奇跡的に中央大学商学部経営学科に合格♪

■大学4年間はバイトと学校の往復に勤しむ。
(実は大学が山奥にあった為、都内まで遠くて遊びに行けなかった)
在学中八王子近郊にあるブティックのチェーン店で3年間バイトを続け、勤務中に得た
体験と知識で卒業論文を作成。
「販売員の人事管理」という論文名。
書籍からの引用は2割程で残りの8割はすべて実践での体験談から書き記した。

当時の専門的な知識や情報源は今のようにインターネットなどというものは無かったので書籍から引用してくるという形式が殆どで、大半の学生の論文は書籍からの引用が7割、他3割といったものが多く、私のような論文を書く学生は皆無だったらしい。
そのため、後日聞いた話だが、私が3年と4年生の時に所属していた労務管理のゼミにて参考文献として暫く使われていたようだ。(嬉しい)

■1984年3月中央大学を4年間で無事卒業後、地元新潟県五泉市でニットの卸問屋に入社。
(バイト3年間からの流れでアパレルしか就職は考えていなかった)

■1年で退社

■同1985年「(株)すかいらーく」に入社
アパレルから飲食へ斬新な転職!
勤務地は関東を希望したが群馬の前橋に何故か配属決定。
北関東事業部・・・って、いちおう関東か?
この当時ファミレス全盛期に向かっていたという事もあり、社員教育も充実していると共に非常に厳しく接客の何たるかを叩き込まれる。
このすかいらーくで叩き込まれた知識と実践でのスキルがあとあと私を助けてくれた、感謝。

■1986年1回目の結婚、当時25歳。。。若い。
(1回目という事は・・・)

■飲食業は意外と肌に合っていて4店舗(新店1店舗含む)を経験、長期応援も含めると
2年半の間で実に7店舗で働いた事になる。
前橋、高崎、安中は特に印象深い。群馬はいい人が多かったなぁ。
順調に昇進していくものの、1988年一身上の都合により退職(2回目)。

■同年婦人服メーカー(株)一珠に転職。
4年間同社で勤務後、同じく婦人服メーカー(株)メゾンドトワルに転職というか
引き抜かれる。

■ここで営業マンの厳しさを体験。
入社1年目で1つのブランドを任される事になり、1人で約100店舗の得意先をいきなり担当することに。
時には、1WEEKでの出張中に既存の得意先の受注&飛び込み営業で1日多い時は10店舗以上
を廻る。かなりきつかったがいい経験をここでもした。
会社の業績は順調だったが、ここでの私の成績は全くダメダメだった。

■後者のメーカーで3年勤務後またまた一身上の都合で退社、同時期に訳あって離婚。
私が退職した2年後、堅実な経営を続けていたその会社が何故か倒産。
不思議な話だが、ここまで入社した企業は私が退社して2年〜5年の間に全て倒産している。
これは運が良いというべきか・・。

■1994年飲食業が忘れられず、(株)テンコーポレーション・天丼のてんやに転職。

■2003年10月ある考えのもと、パソコンを購入。
家を建てるための情報と知識を得る事が目的であった。
自分の性格上1つの事に打ち込みはまってしまうと周りが見えなくなり、猪突猛進。
当時は仕事も忙しかったので、午前様か0時に限りなく近い帰宅の毎日。
そんな中、1日3時間程の睡眠時間で約3ヶ月間一戸建てについての情報収集、勉強、書籍を購入し片っ端から読破とい日々が続いた。
足りない睡眠は電車での移動中に10分〜15分取って補う。
人間の体は凄いもので、気力で何とかなってしまう事を体感した。

そんなこんなで、自分でも気づかないうちに戸建ての知識が若干身に付いていた。

たまたま周りで家を購入、または建てる人達が何人か続いた。
話を聞くと4,000〜5,000万の買い物をするのに殆ど知識も無く雰囲気や営業マンの
印象で安易にバカ高い買い物をしようとしている人が多い事多い事・・・ある意味
カルチャーショックを受ける。


■2006年12月てんやを退職。

■今振り返るとここでの就職期間が一番長く12年続く。
平成元年起業の比較的若い企業。会社が成長していく過程の中、本当に様々な経験をここでもさせていただいた。創業早々から店舗を拡大し、イケイケドンドンの時代から一つ上の段階に行く過渡期も経験し、在社中に上場まで経験した事は物凄い財産となっている。
退職する時には社員、パート、アルバイトも含めると私の下になんと約180名の部下がいた。
ここでは、人を教育する事の難しさと楽しさを学ばせて頂いた。


■3年前から独立したいという意思が芽生えていたが、その当時は具体的な職種も
何も決まっていなく、時間だけが過ぎていく毎日が続いていた。



(つづく)